嫌な予感はしていたのだ。
あの火のないところに煙を立たせるような男がこんな愉快な話を見逃すはずがない。ああ、でも今切実に思う。
──お前空気読めよ、と。
「おや、じゃないか……それとシズちゃんも、ねぇ?」
「いざや、てめえ……!」
「やあ、これはこれは折原くん、新宿抜け出して池袋までわざわざなんの用なのかな?」
「またまた分かってるくせに……っおっと、危ないなぁシズちゃん、標識なんて振り回して……っと!」
「に近よるんじゃねえ!くさいのがうつるだろうがぁ!」
ぶん、と振り回された標識の風圧で髪の毛がふわりと揺れる。ひっと上げかけた悲鳴は静雄くんの手前、そして折原くんに悲鳴を聞かせるのが癪で仕方ないために、なんとか飲み込む。ぞわぞわとした剣呑な雰囲気に、私は数メートルばかり距離を取った。
普段なら直ぐさま逃走するところだが、今現在、静雄くんの保護者的立場にあるのは自分である。流石に脱兎のごとく逃げるというわけにはいかなかった。ああくそ、本当、何故このタイミングで現れるんだ……。空気読めないをKYと略すなら、折原くんはAKY、あえて空気読まないといったところか。最悪だ。空気は吸って読むためにあるというのに。
そして誰が言ったか二十四時間戦争コンビ、もちろん言葉通りと言う訳にはいかないだろうが、顔を合わせたその瞬間が戦争開始の合図だということは事実なわけで。まあ、例外はないわけで。つまり、
「いぃいざああぁあやあぁあああ!!!!!」
「あははは、シズちゃんったら単細胞だねえ!」
──ハンズでお買い物と言う本日の予定をねじ曲げ、誰得な池袋紛争が開始されてしまったわけである。
「折原くんは子供相手に何ムキになっているんだか……ったく」
と言うかあの二人はどう出会ったのか。折原くんそんな趣味合ったのかな。困るな、あれでも一応友人的なポジションに収まっているヤツなんだけど、そろそろえんがちょも考えるべきか。
「!」
「何、空気を読まない折原くん」
「やだな、っ、そんなツンケンしなくって……もいいじゃないか!」
「なによゆうぶっこいてんだイザヤくんよぉおお!?」
「っ、ちょっと、こいつどうにかしてよ」
「好きで来たんじゃないか。ショタコンめ、そのままくたばってしまえばいいのに」
「酷いこと言うなぁ!」
そう言いながらもうっすら笑っているヘンタイはどこのどいつだ。ポケットに手を突っ込んだままひょいひょいと標識フルスイングを避けているくらいなら、さっさと逃げればいいのだ。つまりこれは、こちらに対する挑発でしかない。ああ不本意だ!不本意で仕方がないがこのまま放っておくわけにもいかないだろう。
「静雄くん!」
「ぁあっ!?ちょっとまってくれ、今こいつをねじ切るところだからよぉ!」
「そんなのはどうでもいいからクレープ食べよう!何が良いかな、チョコバナナ?シナモンアップル?イチゴ生クリーム?」
「……っ、」
「早くしないと私だけで食べちゃおうかなー!どうしようかなー!」
「……イチゴ生クリーム」
ベタに食べ物で釣ってこの場を納めてみようと試みる。そして予想以上の食いつきにびっくりである。そうか、イチゴが好きか。可愛いなあ。
しかし視界の端で折原くんがにやにやと笑みを浮かべているのが大変不愉快だ。ああもう、思うツボってか。これも計算のうちって言うのか折原臨也め。
「──あとで覚えてろよ」
「あっはは、予想していたとは言え、実際に目の当たりにすると面白いねぇ」
「うっせ、さっさと新宿に失せろっての」
「おお怖い怖い、まあ用事は果たしたしね、俺は帰るとするよ」
じゃあねーと手を振りながら、見目と声色だけは爽やかな男は去って行った。はあああ、と盛大に漏れた溜息を誰が咎められようか。今度あったら露西亜寿司で奢らせよう。どうせ金だけはあるんだから。
「……はいざやと知り合いなのか?」
「まあ、知らない仲じゃあないよ。学校が一緒だっただけ」
どことなく不安そうに見上げてくる小さな頭を私はよしよしと撫でる。
「こどもあつかいすんなっ」
「ありゃ、怒らせちゃったか。ごめんねー、お詫びにクレープにアイスもトッピングしてあげよう」
「ほ、ほんとうか!?」
「ほんとほんと、だからもう喧嘩しないでね」
「うっ……それはむずかしい、な」
「静雄くんなら出来るって。いい子だもの」
そう、この子は本当にいい子なのである。
だからもっときちんと向き合える大人が側に居てあげなくては。
私がそうであるかは分からないが、そうなれたらな、と切実に思うのだ。
「でもまあ、取り合えず公共物を壊すのは止めようね」
「…………どりょくは、する」
せをむけてはいけません