※二章終了後の閲覧を推奨します。
「不二咲ちゃん、こっちおいでー」
そう声をかけると、目の前をてとてとっと歩いていた小動物が、花も綻ぶような笑顔と共に振り向いた。もしこの世界に天使がいるとしたなら、それは恐らく彼女のことだろうなあと私はぼんやり考える。それほど彼女は愛らしいのだ。
「あっ、さん!どうしたの?」
「んー、あんまり用という用はないんだけどね。見かけたから」
「そっかぁ。でも、そうやって話かけてくれると嬉しいな!」
「よしよし、ならお姉さんの膝に座らせてあげようね」
どっこらせ、と可愛らしさとはかけ離れた掛け声と共に、彼女を自分の膝に座らせる。途端、パタパタと身をよじらせる気配があったが、そんな小さな抵抗もぎゅうと両腕で封じ込めた。
「えっ……えぇ?ぼ、ボク重いから!ね、離して、」
「まさか!そんなことないよ。むしろ軽すぎてやばいくらいだから。大丈夫?ご飯食べてる?大和田とかに取られてない?」
「お、大和田くんはそんなことしないよ!」
「んーそれにしても細っこいぞー」
さわさわと彼女の身体を撫で回す。くすぐったい、と声が漏れてくるが、そんなことで止める私ではない。むしろ嫌がられると、もっと触りたくなる。
そんな欲望に従って両手をワキワキさせた時、ふと鼻孔をくすぐる存在に気が付いた。
「あれ、良い香りがする」
「えぇ?そうかなぁ……」
「もしやお風呂入りたて?石鹸の香り」
「すごいねぇ、当たりだよ!」
すん、と目の前のうなじに鼻を寄せる。ふんわりと香る石鹸の香り。みんな同じものを使ってるんだから、そこに違いなんてないはずなのに、彼女からするものは何だか違うように感じる。元から良い香りなのかもしれない。
「く、くすぐったいよぉ……っ」
「んー」
「もう、さんったら。何だかワンちゃんみたいだねぇ」
「わんっ」
「ふふ、可愛い可愛い!」
くしゃくしゃと小さな手のひらで頭を撫でられる。何だかこそばゆくて、でも気持ち良いものだから、自然と目をつむってしまう。そうしていると、本当に犬になってしまったような気がした。
最近、こういうことが多いような気がする。何だか彼女と一緒に居るだけで、ふわふわとした気持ちになってしまうのだ。まるで、自分という輪郭が溶かされていくようだ。でも、本来なら気持ち悪いはずのその感覚も彼女だったら平気なのだ。
それはどうしてだろう、と私は考える。
何故、彼女だったら許せるのか。彼女のどこが大丈夫なんだろう。そう言えば、この居心地の良さが好きだと思う。彼女のそばが好きなんだ、そう、彼女が──と、そこまで考えて、どうやら私は間違った気持ちを抱いているようだぞ、と気付く。刹那、私は頭をフライパンで殴られた心地がした。
(だって、こんなの、どうしようもないじゃないか!私では駄目なんだ。女の私じゃあ、彼女の一番にはなれない。一番に彼女を幸せになんて出来ないんだから!)
「……うわぁ、」
「?さん、どうしたの?」
「い、いやぁ、別になんでもないよ、」
我ながら、嘘が下手だなあと思う。
もちろん、彼女にもバレバレだったのだろう、何故だが泣きそうな顔で見上げられてしまった。嗚呼、そんなつもりではなかったのに。ナイフで心臓が削り取られていくみたいに、罪悪感がうずいてしまう。
「そ、そんな目で見ないでってば……」
「…………それって、ボクには言えないこと?」
「そうじゃないよ!別にそんな………あー、…………うぅ、えっと、ね。私が男だったら良かったのに、って思っただけ、なんだ」
「……」
「ああもう、だからそう深く考え込まないで!他意はないんだよ。ただの思いつきだから、ね?」
「……ボク、頑張るよ」
「へ?」
思わず、間抜けな声が零れた。
「さんが、そんなこと考えなくてもいいくらい、強くなるから!」
「……それは、」
どういう意味、だろうか。
私が、よほど呆けた顔をしていたのだろう。彼女は慌てた様子で付け加えた。
「あのね、今は秘密だけど、いつか。いつかボクが強くなったら……だから待っててね!」
それに返事する代わりに、私は両腕の力を強めた。何故だか、“彼女”が私の知らないどこかへ飛び立ってしまいそうな気がしたのだ。
鳥籠のワルツ