「やあ奇遇だね、出会ったついでに盾になってくれると嬉しいな、っと!」
「へ?」
 あんまりな挨拶に目を瞬かせていたら目の前に巨大なものが見えた。逆光になって何かは分からないそれが自分に向かってきているものだと気付き、反射的に身体を捻った。耳元でヒュンと風を切る音がしたかと思えば、背後で物と物のぶつかる音がドガラシャーン!と盛大に鳴り響く。無理な体勢になった所為でずべしゃと無様に転けた。痛い。足捻った。ずきずきする。
「んな、い、臨也さん!?」
「あはは、良い転けっぷりだね、良かったらそのままシズちゃんの足止めも頼まれてくれない?」
「え、あのまさ」
「いーざーやーくぅーん?何避けてんのかなァ?きっちり当たりやがれよこのノミ蟲がぁあああぁ!」
「本ッ当にシズちゃんは脳みそまで筋肉なんだねえ!そんなのまともに当たったら死んじゃうじゃないか!」
「だから死ねっつってんだろうが!手前は本ッ当に腹立たしいノミ蟲だな!今すぐすり潰してやるよ!」
も居るのに?」
「へ、ちょ、」
 ぐいっと腕が思い切り引かれる。捻った足がびきりと鳴って顔が盛大に歪んだが、臨也さんはそんな私の様子に全く頓着することなく、そっと後ろから両肩に手を乗せてきた。わざとらしく顔と顔を近付けてくるのがうざったいことこの上ない。
「今標識なんて振り回したら確実ににも当たるんじゃないのかな、まさかそれも分からないほどシズちゃんも馬鹿じゃないよね?」
「てっめ……卑怯だぞ!女を盾にしてんじゃねえ!」
「っ、あの、」
 ──ああ、先ほどから発言権も与えられない私であるが、正直に言えば喧嘩は他所でやって頂きたい。かなりの頻度でこの人たちの喧嘩に巻き込まれているのだが、多分何時かナイフが刺さるか自販機の角で頭をぶつけるか標識に背骨へし折られるかして死ぬ。それは、すごく嫌だ。死ぬなら畳の上で子供と孫に囲まれながらと決めているのである。
「つーかさ、俺はお仕事で池袋に来てるワケ。依頼人との待ち合わせがあるし、でもあげるからここは見逃してよ、ね!」
「!い、っあ」
 今度はどんッと強く背中を押される。踏ん張りが利かずによろめいた先は静雄さんの胸板で、私はおでこを盛大にぶつけることとなった。とても痛い。まるで電柱にでもぶつかったみたいだ。絶対におでこが赤くなってしまっているに違いない。
「……っ、す、すみませ……!、っう、」
「だ、大丈夫か?」
「え、ええ、お陰さまで」
「でこ、赤くなってんぞ」
「あー……まあ、良いですよそれくらい」
 うん、自販機やら標識やらポストにぶつかるよりはずっとマシだ。そう思えばこの痛みだって大したものではない。ないったらないのである。別に涙目なんか、なってない。
「静雄さん、もう追っかけなくていいんですか?」
「あ?……いや、もう面倒になったから良い。それよりお前、足捻っただろ。平気か?」
「……よく、気付きますねえ」
「立ち方が変だからな」
 さすが第一級フラグ建築士、と言う言葉を飲み込む代わりに素直に感謝と謝罪を述べておく。
「気にすんな、悪いのは全部あのノミ蟲だからよ。……ああ、思い出したらイライラしてきた……!」
「し、静雄さん、標識がぐにゃぐにゃに!」
「あ」
「……落ち着きました?」
「……ちょっと戻してくる」
 そう言って律儀にも元々標識があったのであろう場所にぐっさりとそれを突き刺す様子に、言いようもないときめきを感じたのは秘密である。ぐにゃぐにゃのまま刺さったそれはどう考えてもこれから役に立つことはないだろうが、それはまた別の問題だ。
「おい
「はい」
 ほんのりとトリップしていた意識を引き戻す。やけに音源が近く、そして低い気がする。おや、と視線を向け……酷く困惑した。何してんだ、この人。
「静雄さん」
「なんだ?」
「何故目の前でしゃがんでいらっしゃるのでしょうか」
「あ?歩けねえんだろ?お前ん家まで運んでやるからおぶされよ」
「えー」
「何が不満なんだよ」
「静雄さんに不満はないですけど、現状に不満が。別に家までなら歩けます」
「……おら」
「ぎゃん!」
「怪我人がうだうだ言ってんじゃねえよ。大人しく乗ってろ」
 おら、と言うと同時に容赦なく足払いをかけてきた静雄さんは流石としか言いようがない。お陰で静雄さんの鋼の身体と再び激突してすごく痛い。そして静雄さんがひょいと急に立ち上がるものだから、思わず彼の首筋にぎゅうと腕を巻き付けることとなってしまった。あー……。
「……お、重くないですか?」
「自販機持ち上げる人間にそれを聞くか?」
「ごもっとも、ですけど……っ」
 それでもわずかに残っている羞恥心と乙女心とか言うヤツが先ほどからじくじくと疼いているのである。それに周囲の好奇心と不安の入り交じった視線も痛い。
「は、はずかしいんですって、ばぁ……」
「……っ」
「あ、あの、静雄さん?」
 何故、反応がない。
 不審に思って顔を覗き込もうとしたら大きな手にぐいと押し返された。必然的に仰け反ることになった私の腕によって静雄さんの首は思いっきり締まったはずなのだが、びくともしない。流石です。ちなみに超曲芸的な体勢です。つらいです。……って。
「……静雄さん、何で耳が赤」
「それ以上言った瞬間俺の背負い投げが唸るぞ」
「ごめんなさいもう言いませんからそれだけは勘弁して下さい私死ぬなら畳の上がいいです」
 ごりごりと静雄さんの背中に頭を擦り付けながら私は必死に謝った。土下座しようにも背負われているならこうするほかあるまい。いや、何か間違っている気がするが気のせいだと言うことにしておく。
「怒らないで下さい」
「元から怒ってねえよ」
「背負い投げするぞって脅しまでかけておいてもそう言いますか……」
「あーなんか俺唐突にバックドロップの練習がしたくなってきたなーどうしたもんかなー」
「調子こきましたごめんなさいお家まで無事に帰りたいですすみません黙ります」
「いや、黙んなよ」
「え」
「お前が黙ったらつまらないだろうが」
「……oh」
 思わず外人的な反応をしてしまった。本当、この人これで無自覚だから困る。そして自覚がないからこそ、それってどう言う意味?と聞くことも出来ないから余計悶々とする。くそ、くそくそ、悔しい!
「お、おい、?何して、」
 静雄さんの静止の声を無視して、どんどん熱くなる顔を背中に無理矢理押し付けることで私は現実から逃避した。静雄さんなんかデカイ子供を連れてるように思われて困ってしまえばいいのである。この際臨也さんの情報網を使うことすら厭わない……わけがないな流石に。
 でもまあ、取り合えず。

「静雄さんは早く自覚を持って下さい……!」

 話はそれからである。



第一級建築士の実力