ぎりりと奥歯が鳴った。悔しさからではなく、現在肩にかかる膨大な負担からだ。
自分の顔の横にふわふわと当たる、案外柔らかい髪の毛がくすぐったい。私は半分背負うような形になっている静雄さんを落とさないようバランスを取り直しながら声をかけた。
「静雄さん、ちゃんと歩いて下さいよぉ」
「、眠ィ……」
「もう、何で強くないのにあんな飲んじゃうんですか」
「……、ん」
……駄目だ、落ちかかってる。
さて、ここら辺で勘の良い方はもうお気づきだと思うが一応説明を入れさせて頂くと、仕事帰りにふらりと立ち寄った店でたまたま出くわした静雄さんと私はそのまま夜中近くまでお酒を飲みながら雑談に花を咲かせていたのである。
たった一つの誤算は静雄さんが意外とお酒に強くなかったことだ。大酒飲みである私にペースを合わせようとした所為か、気付けば真っ赤な顔でくてくてになっていた。もっと早くに、と思うが私もいつになく饒舌であったことから察してほしい。
「……タクシーで送るしかないかあ」
その時丁度通りかかったタクシーを呼び止めた私は四苦八苦しながらも静雄さんを奥に押し込み、車内へ乗り込む。白いものが混じった髪を後ろへ撫で付けた運転手が少し眠そうな顔でバックミラーを覗きながら、行き先を聞いてくる。
「あ、すいませんちょっと待って下さい。あの、静雄さ…………あ、」
住所を聞こうと思ったら静雄さんはすでに眠りに落ちていた。この時点で起こして住所を訪ねると言う選択肢は私の中になかった。自分にとっておさまりの良いポジションを求め、もぞもぞと身を捩らせる獅子を起こすだけの度胸が存在しているはずがない。しょうがなく自宅の住所を告げてタクシーを走らせる。私は深いため息を吐いた。
……どうしよう。
*
「肩が外れる、これ以上負荷が掛かったら間違いなく外れる……っ」
ずりずりずりずり。
ざりざりざりざりりざり。
もはや引きずっているとしか言いようのない勢いである。多分静雄さんの靴は大変なことになっているのだろうけど、そこは我慢して頂くしかない。これが私の精一杯だ。
バッグから鍵を取り出すのも一苦労で、じわじわと体力を削る重みに全力で耐える。玄関になだれ込むようにして入り靴も脱がずに奥へと突き進む。少し乱暴な扱いになりながらも静雄さんをベッドに寝かせた。途端にぎゅうと丸くなる様子に思わず笑みが浮かぶ。さて靴を脱がせて玄関に置かねばと思ったところで一瞬逡巡する。
静雄さんの格好は何時もと同じバーテン服だ。シャツはもうどうしようもないにしても、ベストがシワクチャになるのは個人的に頂けないし、静雄さんだって困るだろう。
酒の入ったふわふわの頭でそんなことを考えた私は引っ込みかけていた手をもう一度伸ばし、蝶ネクタイをしゅると抜き取る。グラサンも外す。苦労しながらもベストを脱がせた。
すっかり寝入っていて、気付く様子はまるでなかったけれど、少しだけ表情が穏やかになったように思う。やはり、窮屈だったのだろう。
さて、後はシャワーでも浴びて、深夜番組でも見よう。
ごきりと肩を鳴らしながら脱衣所へと向かう。
否、向かおうとした。
「?」
ぐいと裾が伸びる感覚がした。まさかまさかと思い振り向けば、少女漫画かと思うほどベタなシチュエーションが完成していた。ただし、性別は逆だったけれど。
「離れない……」
静雄さんの大きな手が洋服の裾をぎゅうと握っていた。手を外そうにも案外しっかり掴んでいるらしく断念せざるを得なかった。
「しずおさーん」
「離して下さいよぉ」
「シャワーを浴びたいんですって」
「返事がないとただの独り言になって恥ずかしいんですが」
「……うぅ」
何だか酔いもすっかり醒めてしまった。それだけにこの状況は恥ずかしい。
「あの、静雄さ…………うわッ、と」
裾が思い切り引っ張られぐるりと視界が反転する。疑問符が浮かぶ間もなく目の前が白いものに覆われた。と思ったところで私は思考を放棄することにした。
最後に思ったのはただ一つ。
「わさび巻きならともかく粒マスタードの軍艦巻きはねーよ……」
この人、どんな夢見てるんだろうと言うことだ。
酒は飲んでも飲まれるな