「毛利公、お餅食いますか」
 そう言った途端、毛利公の造形の整った細い眉がきゅうとつり上がった。
 それを見て、私はいくら何でもこの台詞は唐突すぎたことに気が付いた。 文章に前後がなさすぎて、私の意図が伝わるはずがなかったのである。 しかしだからと言って一度出た言葉が戻ることはない。少しばかりの羞恥に襲われながら私は大人しく毛利公からの言葉を待った。 気分はまるで執行を待つ罪人である。随分と長く感じられる沈黙に私は思わず怖いもの見たさと言うやつで、恐る恐る視線を上げ
「……貴様、どこでそれを」
 たら、毛利公とばっちり目が合ってしまった。
 美しい切れ長の瞳が自分を注視していると言うことにどうにも耐え切れず、いやその、べつにふかいいみはなくってですね、 なんて要領を得ない言葉がもごもごと口から溢れ出た。 もちろん、そんな見苦しい姿が毛利公のお気に召すはずがなく、はっきりしろ阿呆がと罵声を喰らう。たかが一言に酷い言われようであった。
「い、いや、元親に聞いたんですよ。毛利公はお酒を飲まない代わりに餅を喰うんだぞ、と。そう言うことなら好物の餅でも持っていくかと思いまして」
「……それでその今抱えている包みに入った餅を我に食わせようと思ったのか」
「おっしゃる通りです」
「うつけめ」
「何故に!唐突に向けられた暴言に戸惑いとともにすごく傷ついてますよ!」
「しめ縄級の図太さで何を言う」
「し、しめなわ…」
 まさかのしめ縄。
 的確に抉られていく心に思わずその場に突っ伏しそうになった。 ぱくぱくとだらしなく唇を開閉させる私に毛利公は酷く冷めきった視線を向けたまま、フンと鼻を鳴らす。 絶対に違うと反論が出来ない辺りがまた何とも言えず、どうにかひねり出した言葉はどうにも要領を得なかった。
「……まあ、否定は出来ないですけど、いくら何でも正面切って言われるのは少し…」
「別にそなたを気遣う必要性はないであろう。我の好きなようにするまでよ」
 ああくそ、この何様領主様元就様め。ああ言えばこう言う!
「(うぅ、折角元親と一緒に朝っぱらから餅搗いてきたのに!)……まあ要りませんよね、やっぱり。すいません、ちゃんとしたものを用意出来なくて」
「……」
「失礼ながら後日また出直してきますね、元親ともっと良いヤツ探すので期待してて下さい」
「……おい」
「はい」
「誰が食さぬと言った?」
「は?」
「何度も言わせるな、それで良いと言っておるのだ」
「それ……この餅、ですか?」
「それ以外に何がある」
「別に有名店のものだとか、京から取り寄せたとかそんな大層なもんじゃないですよ?」
「無論そのようなことは分かっておるわ」
 いやだってそうは言っても所詮は素人が作ったものだし、そう言い訳がましく呟くと、 嫌みたっぷりに「ではそのようなものを我に渡そうとしたとでも言うのか?」なんて言われるものだから、 私は大人しく両手をあげることで降伏の意を表した。
「……文句なら元親に言って下さいね」

「何ですか?」
「……そう、長曽我部の名ばかり出すな。気分が、悪くなる」
「えええええ、そんな横暴な。元親良いヤツですよ、なんですか同盟組んでるんですから、もっと仲良くして下さいよ」
「フン、知ったことではない。今は我とそなたしか居らぬのだから、良いだろう」
「……は、」
 何それ。
 私は自分の目が段々かっ開かれていくのが良く分かった。いや、だって、それって。もしかして。自惚れでないと信じても良いなら、
「あの、毛利公?」
「……何ぞ」
「もしかして、焼きもちですか?」
 じゃあないだろうか。
 なんて言っていて自分で自分が恥ずかしくなってしまった。 ぽっぽぽと鳩でも鳴いているのかと言いたくなるような効果音と共に、頬が照っていくのが分かる。 裸足で逃げ出さない代わりに手の甲で口元を抑え、顔を伏せるのが精一杯であった。 なんてことだ、なんてことを言ってしまったのだ!殺される!いっそ殺せ!
 内心戦々恐々としながら、しかしまたもや怖いもの見たさと言うやつでそっと視線を持ち上げ
「…………」
 たら、また目が合った。
 どこか既視感を含むその光景に私はもうそれはしどろもどろと、 いやもうごめんなさいうそです、じょうだんですからきにしないでください、と慌てて口走った。途中噛みそうだった。
「……」
「ごめんなさいもう本当にごめんなさいなんか今日は調子が悪いみたいです取り合えず餅だけ置いて帰りますからすいませんさよなら」
 最終的に私はあまりの居たたまれなさに逃げることを選択した。都合が悪くなったら逃げるに限る。 卑怯?馬鹿言え、兵法にもあるではないか、これはれっきとした戦略的一時撤退なのである。 けして敵前逃亡なぞではない、高尚なる戦法なのだ。ちなみに何と戦っているのだと言う愚問は控えて頂きたい。
「…ッ、待て!」
「ひ、」
 それはもう見事な瞬発力を発揮して逃げようとした私は何故かぐん、とつんのめる羽目になった。 否、何故なんて言うまでもないのだ。私はなんとか無様にコケて醜態を晒すことだけは防げたことに胸を撫で下ろす。 そしてそのまま掴まれた腕に目をやり、そこにある私より白くて細くて綺麗な手を見、最後にその持ち主を見つめた。
「…な、んですか…」
「逃げるな」
「でも、」
「……何も、逃げずとも良いだろう」
「も、毛利公、」
「そんなに、我が嫌か」
「は、な、んな、そんなわけないじゃないですか!」
「ならば大人しく座っていろ」
「……は、い」
 なんか丸め込まれてしまった感が満載である。
 そっと盗み見た毛利公の表情は普段通りの無表情で、何を考えているかは読み取れなかった。なんと言う鉄仮面っぷり! 折角私なぞと違って綺麗な顔立ちをしているのだから、本当に心底もったいないと思う。 まあしかし言ったところで一蹴されるわ馬鹿にされるわで散々な結果に終わるのは目に見えていたので、私は大人しく言葉を飲み込んだ。 お陰で変な間が出来てしまい、毛利公が怪訝そうに眉を顰めたのが分かった。
「……毛利公、」
「何だ」
「怒ってますか?」
「何故このようなことで我が乱されなければならぬのだ」
「…ならいいんですけど」
 しかし空気が悪い。
 一体どうしたら良いのだろうか、毛利公は私に何を望んでおられるのか。 阿呆だから全然見当がつかなくて、どうしようもなかった。相手の機嫌が宜しくないことだけはよぉく分かるのだが。 いやいやしかし、ここで怒っている理由も分かっていない癖にご機嫌取りなんてやってみろ、速攻輪刀の餌食と化すことだけは確実である。 そう言うことには敏感な人なのだ。
「……ら、ぬ……か、」
「へ?」
、貴様、言い忘れていることはないのか」
「……え?」
 毛利公の言葉に私は伏せていた顔をばっと上げた。目の前には薄い唇を噛み締め横を向く毛利公の姿があった。 心持ち頬が赤い気がするなんて言ったら怒られるだろうか、怒られるのだろうな。
 それでも、心当たりがありすぎた私はにっこりと笑って言ってやるのだ。 良かった、毛利公はけして怒っているわけではなかったのだ。

「……毛利公、お誕生日おめでとうございます」

 あーもう、この人本当に素直じゃないにも程があるだろう。 次の瞬間飛んで来た輪刀に身体を引き攣らせながらも、しかし私の顔から笑顔がなくなることはなかった。