ぐびり、ごくり。
 政宗さんの掌の中で傾けられた盃からはツンと酒の匂いがした。 思わず眉を顰めるが、幸い、政宗さんは私の様子に気付いていなかったようだった。 くくと喉を愉快そうに鳴らしながら次々と中身を開けていく。 開いた途端に差し出される盃を満たさないと政宗さんはすごく不機嫌になってしまうので、 私は仕様がなく冷酒をそれになみなみと注ぎ入れる動作を先ほどから繰り返していた。 もし今此処に片倉さんが居れば絶対にお諌めするのだろうが、 臆病な私はそんなことをして政宗さんに嫌われるのが恐ろしくって、ただ大人しく晩酌に付き合った。

 酒の匂いで噎せ返りそうな部屋には月明かりもなく、蝋燭の炎だけがぼんやりと辺りを心もとなく照らしている。 ほう、と小さく息をついて、さっきからちびちびと飲み続けている酒を口に含んだ。 すっかりぬるくなってしまっていて、ちっとも美味しいとは思えないけれども、政宗さんはこの部屋に入ってからずっとそんな酒を飲んでいる。 気を利かせて冷やしてこようかと腰を上げれば強い瞳で射竦められ、結局、夜風に当たることさえ出来なかった。 冗談ではなく匂いだけで酔ってしまいそうになる。少ししか飲んでいない私ですらこの有様、政宗さんはお酒が弱いのに大丈夫なのだろうか。
 ちらと目線を上げると、酒の所為で顔を真っ赤に染めた政宗さんとばっちり目が合ってしまった。 しまった、と思い視線を外そうとした途端、低く心地の良い耳に残る声で名前を呼ばれる。

「はい」

「はい」
「…、」
「政宗さんどうかなさいましたか」
「……ちッ、なんでもねェ。気にすんな」
「分かりました」
 素直に是と頷いたのに何故か政宗さんは不安とも不機嫌とも取れる雰囲気を醸し出したまま、じぃと私の方を見つめている。 気付かぬ間に何か粗相でもしただろうか、とびくりと小さく身を震わせたのだが、政宗さんは立てた膝の上で頬杖を付いたまま何も言わない。 いっそ何か言ってくれた方が気が楽なのになんて思いながら、私はただ視線を手元の酒に映る炎へと落とし、きゅうと中身を飲み干した。 やっぱり、冷やした方が美味しいのに。
 はあ、と小さく息をつくと横で微かに震える気配がした。怪訝に思い、失礼と分かりながらもそちらを見、
「……政宗、さん?」
「悪ィ、少しの間で良い、だから」
「……私なぞで宜しいのなら、いくらでも」
「…Thank you」
 ぎゅうぎゅうと確かめるように、押し付けるように、そして離さないように。 そんな風に抱きつかれて、私の脳みそのどこかはぷつんと途切れてしまったようだった。思考が、上手く回らない。 酒の匂いしかしないような部屋での抱擁は色沙汰なぞ微塵も感じさせず、 例えるなら、そう、まるで子供が一生懸命に抱きついてくるような。母親に何かを求めるような幼子のような。
「大丈夫ですよ」
 だから、こんな言葉がするりと溢れたのだろう。 何がだとか何故だとか、そんなものを含まない酷く無責任な発言に、流石の政宗さんも切れ長の左目を大きく見開いた。
「なんとなく、ですけど、みんな居ますから、だから」
 だから、大丈夫です。もう一度、私は普段使わない筋肉を駆使して頬を持ち上げた。 すごくそれはぎこちないものだったであろうが、それでも政宗さんはそっと顔を伏せて、そのまま私の肩に擦り寄るような動作をした。
「分かってる、」
 どこに置くべきか迷った私の両手は結局政宗さんの背中の上で落ち着いた。



神鳴りの夜