「何故だ」
 はっとが視線を上げるとそこには酷く真剣な、まるで射抜かんばかりに彼女を見つめる片倉小十郎がした。目を逸らすことすら許さぬそれに彼女は喉を引き攣らせたままぴしりと固まった。
「何故、と申され、まして、も…」
「それは、俺が丹精込めて作ったもんだ」
 それ。
 美しい橙色をした、先に行くにつれ細くなっていく造形をしたそれ。付け合わせとしてよく使われ、また子供の多くはそれを厭い、皿の脇に寄せるであろうセリ目セリ科の野菜。ビタミンAやカロチンはもちろん、ビタミンB・C、カルシウムに鉄も含む、栄養的価値が非常に高いとされるその野菜の名を――人参と言う。
 つう、と一筋彼女の頬を伝ったものはけして涙でも何でもなく、紛うことなき冷や汗だった。
「……いえ、わ、私は」
「何が嫌いなんだ?」
「え?」
「何度も言わせんじゃねえ。人参のどこがお前は嫌いなんだって聞いてんだよ」
「あ、味でしょうか。あの匂いがそのまま残るみたいなところが、苦手で……あの、ごめんなさい」
「別に謝られても困るんだがな。まあ嫌いなもんはしょうがねぇが、だからってそうやって除けるのは感心しないぜ?」
「ううう、」
 それはつまり、暗に食えと促されているのではないだろうか。
 さっきとは違って少し頬が笑みの形を作っているところが余計に何か威圧感と言うか、暗雲のような何かを背負っているように思わせた。彼の部下に聞いた「極殺もおど」、とやらの様子に近しいものを彼女は感じた。じとり、とさらに背中が濡れる。
「食わず嫌いってのもあるだろう。それに俺の人参は畑の中で一番美味いんだ」
「は、はい」
「毎日手塩をかけて育てた野菜をそう目の前で無下にされちゃあ俺も黙ってられねえ。分かるよな?」
「も、もちろん、です、」
「……で、お前さんはどうすんだ」
「た、べます」
 駄目だった。
 今の彼に誰が勝てるだろうか、いや勝てまい。今目の前にいる男に歯向かうくらいならの大の嫌いな野菜だってなまっちょろいただのナマモノである。この程度のお野菜ごとき、今の彼女にとって何ら障害になり得る訳が、
「……っ、ぁ」
 あるのだ。当たり前だが、あるからこそ、それが食べられないのだから。
 彼女の中で幼少期に嫌というほど味わったあの匂いの残るような味は誇張した記憶として残っているのである。脳みそが伝えてくるその記憶が彼女の箸を止まらせていた。
 しかしそれもここまでである。視界の端に映る男の顔の恐ろしいこと。あっという間に彼女の緊張と恐怖の限界点を突破した。ええい、ままよ!心の中で彼女は呪文のように唱える。
 小さく小さく切ったそれを息を止めたまま一気に口の中へ放り込み、恐る恐る咀嚼する。
「!」
「どうだ」
 の口のなかで広がる味は彼女が想像していたよりずっと柔らかな味だった。甘みがあると言っても良い。ほくほくと煮込まれた人参は出汁が奥までしみていて、他の牛蒡や鶏肉とも良く合う。
 彼女は思わず驚きに目を見開いたまま、彼を仰ぎ見た。
「!か、かたくらさん、」
「ほれ見ろ、美味いだろうが」
 そう言って笑う小十郎は今までが見た笑みのなかで一番柔らかいもので。彼女は失礼だと思いつつも、やはり彼のなかでは野菜と言うものが占める割合はとても大きいのだなあと感じた。あの、男――否、漢っぷりの凄まじい、子供が見たら泣き出すような顔を生み出すその表情筋をあんなにまで崩れさせることが出来るのは、他にあの人を食ったような城主様くらいしか居ないであろう。
「あの、片倉さん、……ごめんなさい」
「別にもう構いやしねえよ。ただ俺は俺の作ったもんが目の前でないがしろにされたのが気に食わなかっただけだからな」
「では…それでは、有り難う御座います。人参が美味しく感じられたのは初めてです」
「……おう」
 本当に驚きました。普段余り動くことのない顔を喜色で彩らせて、ほくほくとした様子では礼を言った。薄く綻ばせた頬はほんのりと赤みが差している。小十郎は何故だかそんな彼女の様子に戸惑いを覚えた。そしてその戸惑いを覚えてしまったことに対して内心困惑する。

「…それだったら良いんだ」
 小十郎はそう言うのが精一杯で、それだけ彼の胸中を乱してなお、目の前で薄く笑う彼女の後頭部を無性に引っ叩きたくなった。