突然だが、私ことは私立探偵である。
もちろん、私立探偵と言っても、世界中にファンを持つ麻薬中毒者な私立探偵でも、灰色の脳細胞を持つ自信過剰な名探偵でも、はたまた変な薬で身体の縮んだ少年探偵でも、じっちゃんの名にかけて事件を解決する学生探偵でも、ましてや世界三大探偵の名を意のままに操る変人甘党探偵でもない。
ただ、池袋の片隅にほんの小さな事務所を構えているだけである。どれくらい小さいかと言うと、所長と事務員を合わせても一人、と言う慎ましさからもお分かり頂けるだろう。知名度もへったくれもない。鳴きすぎで閑古鳥の声が嗄れている。そんな事務所に舞い込む仕事を言えば、ペット探しに浮気調査、経歴のあら探しといったところか。
from 折原臨也
sub 今回は、
一週間ほどアタッシュケースを預かって欲しい。
サイズはA4。持ち運びにはそれほど困らないだろうから手元から離さないように。
今日の夕方6時に取りに来て。
場所は何時もの喫茶店でよろしく。
──まあ、あとはこんな面倒な、しかしやたらと報酬だけは良い依頼が稀に来るくらいだ。
このちっぽけな事務所の経営はこんな面倒な依頼で成り立っていると言っても過言ではない。……真に不本意ではある、が。
「やあ、良く来たね。5分前行動とは感心だよ」
「待たせたことに対する嫌みは止めて下さい。別に遅れちゃいないんだからいいでしょうが」
「俺は別に嫌みを言ったつもりはないよ?俺の言葉をそういう風に受け取ったのはあくまでだろ?……まあ、自分でも駄目だったと思ってるからこその、その台詞だったんだろうけどさ」
「で、どれですかねー、アタッシュケースって!」
ああ、まったく、仕事でなかったら、誰がこんな奴と付き合うものか。面倒ったらないのだ。本性の一割でも知ったら付き合いたくなくなるような人間、それがこの折原臨也だ。高校時代にヤツの後輩だったと言う事実すら、もはや人生の汚点になりかねない。あのときの私は浅はかだった。何故、興味本位で近づいてしまったのだろうか。好奇心は猫を殺すが、私は飼い殺しにされそうである。
「ああ、これだよこれ」
「……サイズアップしてません?」
「うん、他にも入れたいものが増えちゃって」
「えー」
「もちろんその分の金額はプラスしておくからさ」
「……それなら良いですけど」
「君のそういう聞き分けの良いところが俺は好きだよ」
「あーはいはいソレはどーもありがとうゴザイマス」
別にあんたに褒められたってちっとも嬉しくないのだ。いらない言葉を連ねるくらいなら金を寄越せ。切羽詰まってんだ、こっちは。これ以上家賃を滞納したら、私の大切な事務所がなくなってしまう。
「おやおや、随分な態度だねえ。こっちは今月危ないだろうなーって思って依頼してあげたのに、そんな態度じゃあね。別にこんなのは運び屋に頼んだっていいんだよ?むしろ向こうの方が確実だしね。の場合、失敗の可能性は常に付きまとうからさ」
「……あんた、失礼だな」
「の方こそ、先輩に対しての口の聞き方がなってないよ。それで?結局このアタッシュケースを預けて欲しいんだろ?」
「…………振込は何時もの口座にお願いシマス」
「んー?素直に言ってくれないと分からないなー?」
「ワタクシめにどうぞ大金ががっぽりと入る仕事をお恵み下さいませ折原先輩マジラブ愛してる」
「いっそ清々しいまでの棒読みだ!いいよ、じゃあ預けてあげる。精々頑張って逃げてね」
「は?なにその不穏極まりな」
その瞬間だった。
背後が突然弾け──否、それは少し語弊があるかもしれない、後ろから粉微塵になったドアが飛んできたのである──その破片は私の頬を僅かに擦り、出血させた。は、と口がまんまるに開くのが自分でも分かった。身体が硬直する。しかし、目の前で愉快そうに顔を歪ませる折原臨也を見て、私が一体誰から逃げなくてはいけないかを察した。
「こンにゃろうッ仕組みやがったなぁあぁ!?」
「あはははははは!」
いつか絶対ぶっ飛ばす!
そう胸に誓いながら、私は背後から振りかぶられた標識を避ける。こんなハチャメチャなことをやらかすのは一人しか居ない。平和島先輩である。
「いぃぃいいざああぁやぁあぁぁあああ!!!」
ああ、見えなくたって分かる!この声、この馬鹿力!間違いない!
私は何時だって無関係だと言うのに、気付けば折原臨也に騙され利用され良いように扱われ、私まで敵(的と言った方が正しいかもしれないが、)と認識されているようなのだ。全く不本意だ。私は先輩が好きだと言うのに!こんなのって酷過ぎるではないか。どれもこれも、
「全部あんたの所為だ折原臨也!てめえ覚えてろよ次に会ったらその綺麗なお顔ぶん殴ってやるからな!!!」
「池袋に来るなッつったろーが!てめーの頭には何がつまってやがんだ蛆でも湧いてンじゃねぇのかァア!?」
文章に書き起こしたら犯罪になるレベルの罵倒を次々に飛ばしながら、飛んできた椅子をしゃがむことで避ける。その低い姿勢を保ったまま喫茶店を飛び出す。平和島先輩は、現時点では折原臨也に気を取られているようだが、何時こちらに意識が向くかも分からない。私は私の出せる全力でその場からの逃亡を計った。
「あ!ッ!てめえも逃げてんじゃねーぞ!!いいからそいつを渡しやがれええぇ!!!」
「……っ、先輩ごめんなさい!でもお仕事なので!」
「あッはははは!そこでケースを渡さないが好きだよ俺は!」
──まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。
ああ、この性悪男はこの光景が見たかっただけに違いない。そのために、こんないたいけで人畜無害な後輩まで巻き込んだ茶番を繰り広げるのだ。生産性がないことこの上ない。癪にしか障らない。手のひらで転がされているだなんて認めたくない。ないないづくしだ。
それでも。
それでも私は、明日のごはんと事務所の家賃を払うため、取り合えずこの場は全力で逃げるのである。
(嗚呼!平和島先輩ごめんなさい!こんなんだから嫌われちゃうって分かってるけど私だって生活がかかっているのです!)
本日も池袋では
非日常が渦巻いている。