「気に食わないなー」
 ──急にそんなことを言われても、困る。
 だが、素直に謝ったところで、折原くんの機嫌が直るかと言えばそうではないだろう。びっくりするほど、気まぐれで付き合い辛いやつなのだ。故に、その不機嫌の原因には慎重に触れねばならない。
「……何が?」
「煙草、だよ。特にその匂いがね」
「あ、ごめんね」
 拍子抜けした。どうやら理由はそんなことだったらしい。
 ああ、でもまだ吸いはじめたばかりだと言うのに。なんて勿体ない。しかし、私は嫌がる人間の前でわざわざ吸うような趣味はないので、ポケットから取り出した携帯灰皿に真新しいそれを捩込んだ。喫煙者は何時だって肩身が狭い。今じゃどこもかしこも禁煙禁煙禁煙──そればっかりだ。吸える場所の方が少ない。
 何だか口寂しいので、こう言うときの為に用意してあったミントキャンディーを、代わりに舌でころころと転がす。
「……あれ?」
 そこで、ふと思い出した。
「折原くん、そんなに煙草嫌いだっけ?前吸った時は、何も言ってこなかったじゃない」
「別に煙草が嫌いとは言ってないよ。ただその匂い──正確に言うと、その銘柄が嫌なだけで。理由?そんなの何となくさ。別に煙たいのも臭いのも平気だけど、その煙草と言うのだけは頂けないなぁ。今すぐにでも別のに変えて欲しいくらい、ね」
「え、じゃあ、折原くんの前では飴で我慢するよ。私、これが気に入ってるんだもの」
「じゃあせめてお風呂に入ってきたら?煙草臭くて堪らないよ」
「……失礼だなぁ」
 そこまで臭かっただろうか。思わず腕の辺りに鼻を寄せるものの、やはり自分の体臭は分からない。自分では気を付けているつもりだったが、臭うものは臭ってしまうらしい。もしかして、他の人にも不快な思いをさせてしまっていたのだろうかと思うと、これからはより一層気を付けて吸わねばなるまい。もちろん、そんなことを思いめぐらす私の脳内に禁煙の二文字はない。「その銘柄、」ぽつりと聞こえた声に私は顔を上げた。視線の先では、折原くんがそのほっそりとした指を組んでいる。
「シズちゃんが真似してるね。真似されて嫌だとかは思わないのかな?他人が知らないうちに自分の持ち物を真似しているだなんて気持ち悪くない?」
「え、」
 ──それって。
「しかしまあ、シズちゃんも女々しいよねえ。いくら高校時代に憧れてた先輩が吸ってたからって、今でも真似して吸うなんてさあ」
「…………えっと、」
 それってもしかして。
 ふと頭に浮かんだ考えを慌てて振り払う。流石にそれは自意識過剰というものだろう。だがもしそうだとすると、これで今までの態度にも合点がいってしまう。私の早とちりなのか、はたまた、彼が分かりやすいだけなのか。ああでも、これは案外勝率の高い賭けのような気がしてきた、
「も、もしかして、平和島くんと私が同じ匂いなのが嫌なの?」
「……そうだと言ったら?」
 そう言った途端、ふと表情を消した折原くんは、しかしどこか不貞腐れた様子で顔を背けた。人を食ったような態度ばかり取る男にも、こんな一面があるのか。
 私は自分の口角が自然と持ち上がっていくのを感じた。自分の内側から、意地悪をしたい気持ちがむくりと顔を出す。
「……ふふ、ふふふ、折原くん、子供っぽいねえ。そもそも、彼に煙草を教えちゃった悪い先輩は私だから。だから真似とかねえ、別になーんも思わないけど。むしろ可愛いんじゃないかな」
「それで挑発してるつもり?」
「嫌だな折原くん、分かってるくせにぃ」
 がり、と口内で飴を砕く。途端、鼻にミントの香りがすうと勢い良く抜けた。
 にたにたと笑みを浮かべながら私は、ポケットから安いオイルライターを取り出し、もう一度煙草に火をつける。

「そんなにこの匂いが好きなら、折原くんも一本どう?」

 ふーぅ、と勢い良く吹き付けた煙に咽せる折原くんを見て、私は酷く愉快な気持ちになった。





煙草と子ども