ぴしり、
まさにそんな効果音が相応しいほど見事に、教室中の空気は凝固した。誰ひとりとして視線をそらすことは出来ない。ただ愚直に目の前の光景を見続けることだけが、彼らに出来ることであった。
教室が大破したのは、例の如く、平和島静雄と折原臨也が暴れ回った所為であるが、しかしそれだけならばクラスメイトたちがこれほどまで硬直することはない。そんなことは日常茶飯事であるから、ただ遠い目をするだけだ。それが、ここまでの反応になるのはひとえに一人の少女の存在の所為、であろう。
俯いたままぴくりとも動かない、それなのにクラス中の視線を集めるその少女の名を──と言う。
至って平凡で、折原臨也に言わせれば、「取るに足らない存在」「他のヤツでも代用のきく観察対象」とまあそんな評価が貰える程度の。そう、その程度の人間でしかないはずだった。
はたしてこの少女はこういった仕草をする人間であったろうか。ちらと臨也の脳裏に疑問がよぎるが、それよりも解消すべきはこの雰囲気であろう。呆気にとられたままのクラスメイトや静雄には無理だろうと判断した臨也は、外向けの笑みを浮かべたまま少女にそっと話しかけた。
「あの、さん?大丈夫?」
「……」
「ねえ」
「……」
「、さん?」
「…………けね……ろ……」
「え?」
「……っだいッじょうぶなわきゃねえだろうがこンのド阿呆どもが!大体なんだ!?また場所も時間もわきまえずに喧嘩などしやがって!お前らはガキか!?ガキだから喧嘩に理由もないってか!?んなわきゃねーだろ!お前らはどうか知らんがこちとら受験生なんだよ!貴重な授業時間を何度潰せば気が済むんだ!」
「あ、あの、さ」
「つーかそれはどうでもいいよ!今はどうでもいいけどさあ、あんたら今何したか分かってんのか!?ほら、そこの暴力人間!」
「お、俺か?」
「お前以外の誰が居るんだバカ!何してんだって聞いてるんだからシャキッと答えろ!」
「机、投げた……」
「誰の!」
「……の。わりい」
「あーもう、素直に謝んな!私が何に怒ってるか分かんないくせに!」
──何だ、この豹変ぶりは。
顔を真っ赤に染め上げ、今にも地団駄を踏みそうな勢いで捲し立てる彼女の姿をこのクラスの、否、この学校中の誰が予想出来ただろうか。温厚そうで、少数グループの中のさらに端っこの方でニコニコとしている、そんな彼女のこの変貌を誰が想像出来ただろうか。言葉使いすら、別人である。
臨也は脳内で彼女の情報をまとめあげようとして、そこまで彼女について知っている訳ではないことに気が付いた。同じクラス、席は教卓の前(確か友人に嘆いている姿を見た記憶がある)、成績はまずまず、運動もそこそこ、部活は写真部。コンクールに出展したと言う話は聞いたことがない。本当に最低限だった。
「……さん、本当にごめんね」
「あァ!?何に怒ってるかも分からずに謝んなと言った直後にその台詞か!?よくもまあそんなポンポン軽く言葉が出てくんな、おりはらうざや!」
「うざや……?」
「その胡散臭い笑みが私は嫌いなんだよ!へったくそな笑顔で誰を騙せると思ってんだ!」
「……へえ、」
大したことない、情報すら必要ない人間だと思っていたのに。
これは、認識を改める必要があるかもしれない。そう思い、臨也の顔にうっすらと笑みが浮かび上がる。そうと決まれば、今の状況ではあまりに足りない情報をどうにか補充せねばなるまい。さて、彼女をどのように料理してやろうか。そんな、他人から見れば不穏でしかない思考が臨也の脳内で沸き起こる。
(──嗚呼、ただ、そこら辺で遊ばせるには勿体なさそうだ。何だったら、少しツテのある不良どもと絡ませてみようか。それともまずは小手調べに、彼女へいきなり好意を向ける人間でも差し向けようか?それが彼女の友人が好きな相手だとしたらどうだろう?いっそ彼女の周りから人間という人間を全て引きはがしてしまおうか。そしたら孤独に歪む顔はどんなだろう!ああ、楽しみだ!楽しみすぎる!綺麗なところも醜いところも、裏も表も全て全部を観察し尽くしてやりたい!見た目と違って図太そうだから色々と遊べそうだ!)
「……ふ、くくく、さん、さん!これから覚悟しててくれよ!」
──人に向ける表情としては、余りにも歪んだモノを浮かべる臨也の様子に、彼の言葉を聞いた全ての人間が、への同情を募らせたのは言うまでもない。
「!」
「ッぁあ!?」
「これ……お前のか?」
「……ええ、ソウデゴザイマスヨ、平和島くん。それが君のぶん投げた机の横にひっ下がってた私の大切な大切なカメラちゃんですよ!」
「…………悪ィ、そんな大事なもんまで投げちまったとは思わなかったんだ」
「っ、……あー、くそ、そこまで謝られてねえ、意地張るわけにいかねーじゃん……。あんたズルい、ズルい!」
「え、あ、すまねえ。ズルいことしたつもりはなかったんだが……」
「……しかも天然かよーもーくそー」
「あのよ、俺に出来ることなら何でもするし、お詫びに同じの買えって言うなら……バイトして必ず返すから」
「う、そそその子犬みたいな目を止めて……!」
「?」
そしてそんな臨也の背後でフラグが着々と建設されつつあることは、また別の話。
足りないものが多すぎる