ブブブ、ブブブと携帯が震えた。
 私はぱちりと片手で携帯を開き、そして画面の端っこにメールマークが付いていることを確認した。一体誰だろうか。あまり深く考えずに受信ボックスを開き──すぐさま閉じた。
「……何でまた!」
 差出人は『折原臨也』。これだけであっても正直嫌な予感しかしない。しかし見ないことには何も始まらない。正確に言えば、シカトしようものなら何をされるか分かりゃしないのだ。嫌悪より保身が勝った瞬間だった。
 なるべく面倒でありませんように簡単かつ高収入な依頼の紹介でありますようにと祈りながらメールを開く。が、予想していたよりも内容はずっと薄く、たった一言書かれているだけであった。
 曰わく、すぐに新宿にある某マンションに来いと。
 ──もちろんこれはこれで嫌な展開が予想されるのだけど。



「やあ、予想より大分早かったね。まだ仕事が済んでないから、そこら辺に座って待っててくれない?」
「はい」
 あの理不尽な要求に健気にも答えた私だったが、どうやら臨也さんはまだ仕事と向き合わねばならないらしい。呼びつけておいてそれってどう言うことだ。あわよくばそのまま書類の山に押しつぶされればいいと思う。ファイルの角で頭を打ち付けるのもアリだ。ついでに足の小指も。
 そんなささやかな想像を巡らせながら、高級ゆえにやたらと沈むソファに居心地の悪さを感じつつも座ることにした。
「今日、波江さんはいないんですか?」
「ああ、もう帰ったよ。コーヒー飲みたいなら自分で淹れて」
「じゃあお言葉に甘えて高級豆を堪能させて頂きますね」
 香りからして我が家のインスタントとは大違いである。そんな豆を使ったコーヒーは我ながら上手く淹れることが出来たと思う。未だにブラックが飲めない私はカップに三分の一ほど牛乳を足し、もう一方のカップには角砂糖を二つ入れた。
「臨也さん、ついでなのでどうぞ」
「ありがとう。そんな気の付く辺りが好きだよ」
「お世辞をどうも。淹れなきゃ嫌みの一つでも頂くかと思いまして」
 私は甘くないカフェオレを飲みながら再び、ソファに沈み込んだ。高級なのも考え物だ。座ると不安定で立ち上がりづらい。一々掛け声と共に立ち上がらないといけないソファなんて嫌だ。
 ちびりちびりと少しずつ冷ましながら飲んでいたそれが、半分ほどになった時、先ほどまで聞こえていたタイピング音が消えた。ちら、と視線をやると丁度臨也さんが回転椅子をくるりと180°回転させ、こちらに向いたところだった。
「待たせたね、終わったから行こうか。は何がいい?」
「話がさっぱり見えません」
「ああ、一緒にご飯でも食べようと思って。安心して、俺の奢りだから」
「帰ります」
 さっさと立ち上がって玄関へ向かおうとした私だったが、ここでまさかのソファの所為で立ち上がれないとは思わなかった。二回目で気合いを入れて浮かせた腰は、とん、と軽く肩を押されることで再びダイブすることとなった。
「……いざやさん」
「つれないなあ、カニでもしゃぶしゃぶでもフグでもモツでもすき焼きでもうどんすきでもキムチ鍋でも何でもいいんだよ?」
「何故選択肢が鍋しかない」
 まさか。
 まさか、この人。
「……ハブられたの根に持ってるんですか?」
「そう」
 だから、俺の自尊心を満たすのを手伝ってもらおうと思って。
 薄く笑いながら言われた台詞は酷く格好悪かった。そんなことで呼ぶんじゃねえよと脳内でツッコミがびしりと決まる。
 思わず顔が引き攣った。何でこう、しょうもないことで子供っぽくなるんだろうか。そして何故それに付き合わされるのが自分なのか。疑問と呆れは沢山浮かべど。

「……美味しいフグじゃないと嫌ですよ?」

 それでも頷いてしまう私は単にお腹が空いただけで、まさか、案外に付き合うのも悪くないだなんてこれっぽっちも思っていないのである。