「あれ、って子供居たの?」
 やたらと爽やかで聞き覚えのある声に振り返る。そこには黒コートの男が全人類を愛しちゃってるような笑みを浮かべたまま、電柱に凭れ掛かっていた。
 人間を愛していると公言して止まない癖に、向けてくる視線は一段高いところから観察しているような、ガラス1枚分の隔たりを感じさせるものでしかない。そんな男が私はどうも苦手だった。
 ──折原臨也はなんと言うか、何時見ても腹の底からムカムカする人なのである。

「臨也さん、分かっていて聞いてくるの、止めて下さいよ……」
「一応確認しておかなくっちゃと思って」
「一応とついている辺り、ちゃんと分かってるんじゃないですか」
「ま、伊達に情報屋を名乗っているわけではないからねえ」
「……単に迷子を拾っただけですよ、」
 そう言いながら疲れてしまったのか、すっかり腕の中で寝息を立てている子供を見た。齢は4、5歳と言ったところか。艶のある黒髪と、今は見えないけれどくりくりとした目が大変愛らしかった。
「今から交番に連れて行くところだったんです」
「そう、じゃあ俺も行こうかなっと」
「えッ」
「なに、その不服そうな顔。俺が一緒に行くのがまさか嫌な訳じゃあないよね?」
「あー……えっと、臨也先輩はお忙しいだろうからこの程度のことでお手を煩わすわけにはいけないと思ったわけでありまして、かつ、先輩にとってこれから会いたくないであろう人に会う予定があるのでそこら辺も考慮した上でぜひともそのご提案を却下とさせて頂きたいわけですが……えっと、そのぉ、」
「嘘は駄目だよ。シズちゃんに会う予定なんてこれっぽっちもなかったくせに」
「今決めたんです!交番に行ったらそのあと静雄さんのところに行くんです!」
「シズちゃん、今頃取り立てで忙しいんじゃないかなあ。だったら俺のこと優先してくれたって良いんじゃない?」
 ぐう、と喉が鳴った。もちろん苛立ちで、だ。
 同時に眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。さぞ今の自分は面白い顔をしているはずだ。目の前の端正なことだけが取り柄な顔がさも嬉しそうに歪んでいる。
「…………好きにして下さいよ、もう」
「じゃ、行こうか」
 こっちの気を知った上で、足取り軽く数歩前を行く男に思わずため息が零れた。
 なんとまあ性質が悪いこと。
「ねえ、
「なんでしょうか」
「なんかさあ、俺たち夫婦みたいじゃない?」
「ブッ!?」
「……汚いなあ。ほら、何かその子の髪の毛、俺と一緒で真っ黒だし、そこはかとなく輪郭がに似てるしさ」
「それはツッコミ待ちでしょうか。黒髪は日本人的に別段珍しいもんでも何でもないし、このぷにぷにむにむにしたちみっこの輪郭のどの辺りに私と似たところがあるんでしょうかもしかしなくとも喧嘩売ってますよねマジうぜえしねばいいのに……違った、酷いですよ、臨也さん」
「よくもまあそんなに舌が回るもんだね。その滑舌に免じてさらりと吐いた暴言は聞き流してあげよう」
「そうして頂ければ幸いです」
 はあ。
 ため息が次から次へと零れる。本当にこの人に関わるとロクな目に会わないのだ。高校の時からそうだった。
 私は今回も巻き込まれないうちにと、交番にたどり着いたら如何にしてこの人を撒こうかなあなんて思案に耽る。
 と、急に目の前の黒コートが立ち止まった。ぎりぎりで持ちこたえたが、危うく先輩の背中に頭突きをかますところであった(身長差があるので必然的にそうなるのである)。
「、おッ、と……ちょ、臨也さん、急に立ち止まらないで下さいよ」
「……シズちゃん」
「え?……あー、」
 ひょい、と先輩の背中から顔を出す。もちろんそこには池袋で一番喧嘩を売ってはいけない男、自動喧嘩人形、世界で一番名前負けしていると評判の──

「いーざーやくーん?だから池袋に来るんじゃねえとあんなにも懇切丁寧に言ってやったよなァ?あぁ?あれじゃあ分からなかったなんて言わねえよなあ、いーざーやーくんよぉ!」

 ──平和島静雄その人が居たのだった。
「静雄さん!」
「あ?……何だ、お前か……悪ィが今機嫌が最低最悪なんだよそこのノミ蟲の所為でなぁ!」
「こっちも最悪だよ。ほんと、池袋に来る度に一々シズちゃんと遭遇するの、どうにかして欲しいね」
「そりゃこっちの台詞だろうがよぉ、臨也ァ、なんで手前を連れ回してんだ、」
「そんなの俺の勝手だろ?シズちゃんには関係ない」
「手前みてぇなのと会話してるだけで病気になるんだよ!」
「わあ、シズちゃんって小学生みたいだね。あ、いや最近の小学生はもっと大人びてるからなぁ。精々幼稚園児ってところ?」
 ビキビキビキッ。静雄さんのこめかみ辺りからそんな音が聞こえた。
 バキッッッ。静雄さんの右手がガードレールをむしり取る。

「あ、ッぶな!」

 反射的に横へ思いっきり飛んだ。
 ヒュンと風を切る音が耳元でしたかと思うと、背後でドガラシャーン!と何とも形容しがたい破壊音が轟いた。ぞわわと背中に冷たいものが走り総毛立つ。じっとりとかいた汗が気持ち悪い。
「しず、おさん……!」
「……悪ィ」
「い、臨也さんだけならまだしも、私やチビっこが居るんですよ!?あり得ません、常識的に考えて!」
「俺だけならまだしもって酷くない?って言うか、シズちゃんに常識を求めちゃ駄目だよ」
「本当に悪かった。怪我はねェか?」
「まあ、幸いにしてないですが……つーかこの子すごいなあ、この状況でまだ寝てるし……」
「そいつは?」
「ああ、この子は、」
「俺との子だよ。じゃあね、また会おう。シズちゃん、今度こそ会う時までに死んでくれ」
「!いざ、」
「じゃ、お疲れ!」
 あっと言う間に、そう、こちらが予想外に投下された爆弾に固まっているうちに臨也さんは豆粒となって消えた。残されたのは何とも気まずい雰囲気だけだ。サングラス越しでない、茶色の目がこっちを見ていた。
「おい、」
「先に言っておきますが、別にこの子はただの迷子であってあの人との子供なんかじゃあありません。もっと言えばこの黒髪は日本人として有りがちな色であり、かつ輪郭は私に似ているはずがありません!」
「取り合えず落ち着け」
「そもそもあの人の言うことを…………え?あ、はい、ごめんなさい。落ち着きます」
 すうはあ。
 大きく深呼吸して、未だ腕の中で寝息を立てる子供を抱え直す。もぞもぞと身じろぎをしばらくしていたが、結局起きることはなかった。
「あの静雄さん」
「何だ?」
「本当に、違いますからね?」
「一瞬ビビったけどよ。そんなでかいガキ、居たら今の今まで知らないってことはないだろ」
「ですよね」
「あ、つーか、そいつどうすんだ?」
「あ、いえ、普通に交番に連れて行こうかと。その途中です」
「ふぅん、なら俺も行ってやろうか」
「えッ」
「何だ、その反応。俺が一緒だと嫌なのか?」
「いえ、そう言うことではなく、むしろ静雄さんが一緒だと大変頼もしいので嬉しいくらいですが。……良いんですか?お仕事とか、忙しくないんですか?」
「おう、丁度昼の分は終わったとこでよ、あとは夜にしか出来ないから」
 と言うことらしいので、私はお言葉に甘えることにした。さっきまでと違って、静雄さんは大きな歩幅をこちらに合わせてゆっくりとしたものにしてくれているので、とても歩きやすい。
 しばらく歩いていると、周りからやたらと視線が刺さるような気がしたが、そりゃあ目立つ静雄さんが一緒に居るからだろうと結論付ける。交番が近づくと、静雄さんは近くのファーストフード店で待っていると言って居なくなってしまった。まあ、警察に良い思い出がないのだから当たり前だ。
 ここまで来てようやく目を覚ました子供を引き渡せば、母親に泣きながらお礼を言われた。どうやら人ごみが凄くて手を離してしまったらしい。とにかく無事で良かった。
 何となくほくほくとした気持ちでお店に入ると静雄さんがシェイクを奢ってくれた。前の席で同じものをキュイキュイと飲んでいる様子に癒される。シェイクってそんな音でるっけ……と自分でも試すが、普通にズズッとしか言わなかった。
「何笑ってんだ?」
「え?……ふふ、いえいえ、何でもありませんよー」
 まさかここで静雄さんが可愛いからだなんて答えられるわけがない。そんな地雷、誰が踏んでたまるか。
 その後もキャッキャウフウフと(誇張表現含む)、静雄さんがそこらのチンピラにキレるまで楽しく過ごさせて頂いた。多少のトラブルこそあれ、今日も平和な一日であった。マル。