はあっと思いっきり息を吐いた。
 可視化された水蒸気が立ちのぼり、辺りの寒さを伝える。私はマフラーに顔を埋め、寒さからの逃避を図るが、そんな抵抗で収まるような生っちょろいものではない。あくまで気休めにしかならなかった。やはり外で待つという選択は失敗だろうか。いや、だろうか、ではなく「失敗だった」。
 かと言って、今更のこのこと室内に舞い戻るのは、どうにも釈に障る。この微妙すぎる意地の所為で、私は現在凍死の危機に瀕していると言うわけだ。なんて分かりやすい。分かりやすいが、あまりに阿呆らしい。自分でも分かってるが、でもここはあえて踏み止まることにする。そして、せめてもの足掻きに手のひらで擦ってみようかなんて思い、身体に手を宛てがった。
「……冷たっ!」
 むしろ逆効果だった。そもそも、擦りつける手自体が冷たいのだ。意味がないにもほどがある。あらゆる部位の感覚が消えうせていた。寒さに頭をやられた所為か、冷凍庫で吊るされながら売られる日を待つ豚ってこんな気分なのかねえ、とあまりにも阿呆らしい妄想を繰り広げる。
 私は壁にもたれかかり、ずるずると座り込んだ。待ち人、来ず。寒さも問題だが、あまりに退屈だ。時間が長く感じてしまう。
「……はーぁ、」
 溜息すら、白い。
 全く、あいつは今どこで何をしているのやら。もちろん、大体は想像がつくのだけど。大方、図書館に居残りながら予習復習に余念がないに違いない。場所まで分かってるなら行けばいいと分かっては居るが、ここで引き下がっては私の目的は達成出来ないのである。
「それにしたって遅いだろー……終鈴ギリギリまで粘る気かコノヤロー……」
 悪態にしてはあまりに力がなかった。自分でも思っていたより消耗しているのかもしれない。
 やべーなーと曇り空を見上げた時だった。
くん!?一体何をしているのかね!?」
「あー?」
 思わず気のない返事を返す。のろのろと声のした方を振り向く。
「……あ、石丸」
「『あ、石丸』じゃないッ!こんな寒空の下で君は一体何をしていたのだと聞いているのだよ!」
「石丸を待ってた」
「は?」
「だから石丸くん、私は君が帰るのを待ち伏せていたわけだよアンダースタン?」
「ならば校舎に入っていれば良かっただろうに!君は僕が図書室に居たことも分かってただろう?何故わざわざ寒さに身を投じるのか理解に苦しむ……!」
 ──あれ。予想していた反応と違う。
 私はこう、もっと、自分の所為で女の子を凍死の危機にさらしたことに対して、慌てふためく石丸が見たかったわけだが。そしてそのために私はここでベテラン刑事もびっくりな張り込みをしていたはずなのだが。何と言うことだろう、なんだか普通に呆れられてしまったではないか。
「……石丸、私の心配とかしてくんねーの?」
「僕は最初君を勉強に誘ったし、その後も来ないなら先に帰っていて構わないと言ったはずだぞ。自業自得じゃないのか?」
「む。……最近、君、冷たくなったね」
くんのあしらい方を覚えたんだ。君は僕がムキになればなるほど喜ぶだろう。だから常に冷静であることにしたんだ」
 まあ、なんてつまらないこと。
 私は小さく鼻を鳴らす。その余裕そうな態度は気に食わなかった。なので、私は計画を変更することにした。
「…………私さ、今すんごーく手が冷たいんだよね」
「そうか」
「だからあっためてほしーなァ?清多夏くんの、その、首筋でッ!」
 そう言うが早いか、私はそのマフラーに埋まった首筋目掛けて腕を伸ばした。その動きはまさしくマングースに飛びかかるハブのそれで、私の手のひらは的確に獲物を捉える。
「ぬ、ぬわぁぁあぁぁあッ!?」
「あっはははは!逃がさんぞ石丸清多夏くゥん!私の冷えきった手を存分に暖めたまえ!どうだ、どうだ!」
 文字通り飛び上がった石丸に、私は思いっきりしがみつく。がっちりとホールドしたお陰で石丸は、逃げたくても逃げられないようで、ちらりと見えた表情は私を満足させるに十分すぎるものだった。
「バカめ!私の相手をきっちりこなさないからこうなるんだ!あはは!おもしれー顔!」
「ややややややめたま、えぇぇぇ!!つ、冷た……!こ、こら、どこに手を入れてるんだ!僕もいい加減怒るぞぉ!?」
「ふ、ッあはははは!そんな顔で言っても説得力ないよ!!」
「……っ、く、くん、ならば僕も仕返しだ!」
「!?ひ、ひゃん!!」
 余りに心もとない砦であったとしても、しかし確かに私にとっては『最後の砦』であったマフラーの隙間に無骨な手が滑り込む。ゾゾゾッと寒気が尾てい骨から背筋を一気に駆け上がる。思わずマンガのような悲鳴を上げたことに、顔が羞恥で歪んだ。
「なななななにすんのさぁあ!?」
「言っただろう、これは仕返しだと。くんは知らないのかね?『目には目を、歯には歯を』だ!」
「それは過剰な罰則を与えないためのだろ!こ、これ、絶対私のより、酷い……ッ!ただでさえ冷えきった身体の人間に…………ってあれ」
「?どうした?」
「……石丸、手ェぬっくい超気持ちいい」
 流石に先ほどまで室内に居ただけあって、石丸の手はとても温かかった。何故か引いた表情を見せた石丸が私の首筋から離そうとした手を私はがっしりと捕まえて、そのまま自分の頬に宛てがった。
「ッ、くん!」
「うぅ、やっぱり寒かった、すんげー寒かったよ、私はこの季節を舐めきっていたようだよ……」
「……」
 しばらくそうして悦に入っていると、頭上からため息が零れた。
 離れる手が少し恋しかったが、今度は引き止めずに、石丸の様子を伺う。
「石丸?」
「……全く、君と言うヤツは実に阿呆だ。馬鹿は風邪を引かないが、阿呆は風邪を引くかもしれない。ということで、さっさと宿舎に帰ろうではないか。お茶くらいならいれてあげよう」
「…………うん!」
 実にお行儀良く返事をした私の瞳は、恐らく爛々と輝いていたはずだ。
 このとんでもなく生真面目で融通の利かない優等生はなんだかんだで、甘い。